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Y2K留学、覚醒までの道のり

Y2K留学 留学
Y2K留学

2000年代前半の夏、わたしは人生で初めて「留学」というものを体験した。
今でこそ、この体験は己の人生に於いて非常に大きな意味があったと言い切れるが、当時は留学?どっちでもいいかなぁ。行かなくてもいいかなぁ。くらいに思っていた。

今なら言える。小娘、つべこべ言わすに行ってこい。
留学準備から渡航後ホームシックを経て覚醒するまでのわたしの気持ち、のお話。

留学を決めるまでに悩んだこと

高校生になってすぐ、学校で姉妹校への交換留学の募集があった。
わたしは英語が好きで比較的得意だったけれど、それでも学年にはもっと英語が得意な子たちが沢山いて、あーもっと頑張って勉強しないとぺラぺラにはなれないんだなぁと思いながら、たいして英語の勉強はしていなかった。

当時のわたしには今でいう「推し」が居たので、人生はそれを中心に回っていた。
それがわたしの「世界」だった。
SNSがない時代だから、海外から日本の推しの情報を得るには、最速で手紙で一週間かかる。
わたしにとっては大問題だった。

それでも海外への憧れもあったし、英語は好きだった。
漠然と英語が話せるようになることは良いことだと考えていたから、英語を話せるようになるなら行きたいとも思った。
良くも悪くも留学は1年限り。推しのことはまた帰国したら推せばいい。
留学を決意した。
SNSがない時代の留学(海外生活)についてはこちら

留学までの準備は、実務的なことを言えば色々大変だった。
健康診断や予防接種などもあった。
わたしよりも親の方が大変だったと思う。書類をはじめ、沢山のことをわたしの為にしてくれた。心から感謝している。

英語の準備という意味では、読み書きより、とにかくリスニングをするように学校から言われた。
ディズニーのアニメを字幕で見た。
これがどの程度役に立ったのかは正直分からない。だってアメリカ英語とイギリス英語は全然違う。

これから留学へ行く人へのアドバイスがあるとすれば、周りの人に感謝して、それを言葉にして伝えてから出発してほしい。

予想していなかったホームシック

同じ高校から、わたしを含めた計2名が交換留学をした。
留学先の学校には、日本人はわたしたち2人だけだった。

学校がある期間はずっと学校の寮に入っていた。
いわゆる「Boarding School(ボーディングスクール)」だ。日本でいう寄宿学校にあたる。
その学校は小学校から高校までがあり、寮も20近くあったと思う。
こんな小さい時から寮生活なんてすごいなぁと感心した。

生徒はfull boarder(週7日寮に滞在)とweekly boarder(平日の週5日寮に滞在、週末は自宅で過ごす)の2種類に分かれていた。わたしたちはもちろんfull boarder。

英語は好きだったが、英語はわたしが思っていた以上に難しかった。
もちろん挨拶くらいはできるが、ひとたび朝のホームルームにでもなれば、ほとんど何を言っているのか分からない。というか、イギリス英語が聞き取れなかった。
衝撃的だった。
日本の学校で習っていた英語がアメリカ英語だったこともあり、イギリス英語は別の言語に聞こえるく異なるものだった。

聞き取れないことに加えて、自分の思いが全く英語で伝えられない。
ここまで来て初めて、あらゆることに圧倒されて英語は簡単ではないと感じた。
というより、文法や発音が間違った英語を話すくらいなら話さない方がいいと思っていた。
間違えることはかっこ悪いと思っていた。

良くも悪くも寮生活なので、積極的に英語を話そうとしなければ、話さなくても生活は出来てしまう。
決まった時間に食堂に行けばご飯は食べられるし、時間割通りに授業に出て(意味は何も分からないけど、とりあえず出席)、洗濯をしたり、分からない中でも宿題をやったりして1日は勝手に過ぎていった。

寮に入って1週間ほど経つと、見事にホームシックになった。まったくの予想外だった。
あの感覚はどう言葉にしたら良いのかよく分からないが、なんというか常に心細くて、何をしていても世界が曇っているような。そんな感じだった

言いたいことも思うように伝えられないし、寮生活は娯楽も少ない、思い描いていたようなスクールライフではなかった。
幸いお腹は減ったけど、当時のわたしは「やっぱり留学なんて来ないで、日本で推し活してればよかったなぁ」と思っていたに違いない。

学校には、日本からの留学生はわたしたちだけだったけれど、香港からの留学生が多くいた。
同じ留学生とは言っても、彼女たちは普通の留学生、わたしたちは交換留学生。
英語力は全然違ったが、同じアジア人ということで少しずつ仲良くなった。

友だちができると、生活は少しずつ楽しくなってくる。
朝の挨拶をする人がいるだけでも嬉しいし、休み時間(さすがイギリス。tea timeがあり、いつもミルクティにビスケットを浸して食べていた)の他愛もない会話もワクワクした。

人とのつながりの大切さを実感した。

ホームシック卒業と同時に覚醒

相変わらず文法や単語など間違った英語を話すのが怖くて、挨拶くらいしか話せないながらも友だちができた。
少しずつ生活にも慣れてきたある日、自習室で宿題をやっていたら、突然雷に打たれたようにホームシックを卒業した。あの日のことはとても鮮明に覚えている。

(あれ、寮って門限は夜の10時だよね?え、しかもロンドンっておしゃれな国だよね?しかも親いないからいちいち文句言われないよね?え?え??え???わたしは自由だ!!!)

何が引き金になったのか全く分からないが、宿題をしている時に突然そう気が付いたのだから仕方ない。
わたしは覚醒した

寮生活は平日はもちろん学校があるが、土日は基本的に自由時間である。門限までに帰ってくれば良い。
イギリスでは日曜は家族でのんびり過ごすというのが一般的で、大体お店もお休みで街は静かである。
つまり、勝負は土曜日しかない。
この土曜日に、ロンドンを満喫し尽くすしかない。

そこからわたしの学校生活は激変した。
毎週月曜から金曜までかけて「土曜にどこへ行って何をするか」を全力で計画する、という生活が始まった。
楽しみが見つかると、ホームシックで曇っていた世界が突然カラフルになった。
生活にメリハリがついた。何をしていてもワクワクする。
毎日がとても楽しいくなった。

そしてここから、わたしの人生に大きく影響するような、イギリスでの生活が始まったのである。

世界は広いんです。

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