これから人生で初めてのワーホリへ行こうと準備中のあなたへ。
あなたのワーホリが最高の経験になるように、わたしのワーホリ失敗談を教えます。
人の振り見て我が振り直せです。
わたしの失敗談を思いっきり笑って、あなたの成功の糧にしてください。
わたしが初めてのワーホリで失敗したことは大きく3つ、のお話。
ワーホリの目的が曖昧だった
これが一番大きかった。
わたしの初めてのワーホリは、大学4年生の就活終了後9月から翌年3月大学卒業式直前までの7か月間、オーストラリアへ行った。
今も当時も、英語や海外が好きだったから、就職先は少なからず英語や海外と接点のある企業を選んだ。
無事に就活を終えた、当時のわたしの心境はこんな感じ。
「社会人になったら、海外転勤でもしない限り海外で生活することなんてできなくなる。
もしワーホリへ行って英語力伸びたら、仕事でも役立つかもしれない。
ワーホリなら学校にも行けるし、お金も稼げるし。
そして何より最後の学生生活、社会人になる前に念願の海外生活をしてみたい。
よしワーホリに行かない選択肢はない。」
まさにこんな感じでした。
当時は、一度社会人になったら仕事をやめたり、海外に留学をするという選択肢がわたしの中にはな無かった。だからこのワーホリは、海外で生活する最後のチャンスだと思い込んでいた。
実際は、3年後に仕事を辞めて再びワーホリへ行ったけど。
とにかくこの最後の海外生活のチャンスを一刻も早く実現したくて、ワーホリについてあまり多くのことは調べなかった。ほとんど勢いだった。
とは言え、とりあえず行くべしで本当にワーホリに行った行動力は褒めたい。
当時はmixiが流行っていたくらいだからネットはそれなりに普及していたが、まだスマホはなかった。
ipodはあった。Wi-Fiはなかった、有線だった。Facebookは英語だった。
だから今のように、なんでもスマホで簡単にググれる時代ではなかった。
半分言い訳だけど、ネットにあるワーホリの情報も今ほど多くはなった。
そしてわたしはワーホリに行った。
「ワーホリに行く=まず最初は語学学校に行く」というのが定説だったので、当然わたしも語学学校へ通った。
仕事で役立つ英語を習得したいのに、申し込んだのはビジネスクラスではなく一般クラス。もう目的が定まっていない。
ワーホリは勉強もできて働けるビザだから、当然お金を稼げるものと思い込んでいて、どんなエリアにどんな仕事があって、時給の相場も調べていない。
今となっては恥ずかしくて穴に入りたいくらいだが、そもそもオーストラリアがどんな国で、どんな歴史があって、どんな街があってそこで何ができるのか、何も調べていなかった。
成功へのヒント①これから生活をする国のことを知ること
それでも、その時にオーストラリアへワーホリに行ったことは何も後悔もしていない。
ワーホリの予算が不十分だった
これも本当に気を付けたいポイント。
ワーホリのビザは、働くことが認められているだけであって仕事が保証されるものではない。
わたしが最初に滞在した町、noosa(ヌーサ)はヨーロッパなどからの観光客に人気のリゾートエリア。そんなことも渡航してから知った。
当然ながら、その町にどんな仕事あるのか、どの程度の英語力が必要なのか、賃金はどのくらいなのか、何も調べていなかった。
現実はと言えば、シドニーやメルボルンのような大きな街とは違い、いわゆるジャパレス(日本食レストラン)が存在しなかった。ジャパレスでアルバイトするというのは、登竜門みたいなもの。
しかも、ここはリゾートだから英語力が低い場合はアルバイトがなかなか見つからないのだ。
もちろん全く無いわけではないけど、英語力を重視しないお皿洗いとか体力勝負の仕事は男の子が優遇されていた印象。
おかげでわたしは、しばらく仕事が見つからず、収入がなかった。支出だけが続く生活。
ただでさえ異国の地。
そこで資金が少なくなってくると、精神的にネガティブになる。
資金が底をついたら帰国すればいいと頭では思っていたが、気持ちは卒業式ギリギリまで帰国するもんか、という謎のプライドもあった。
最終的にはとても素敵な仕事と出会えたからよかったものの、道のりは長かった。
だから2度目のワーホリに行く際は、例え1円も稼げなくてもワーホリを全力で楽しめるように、十分の資金を準備した。
成功へのヒント②資金はできる限り多く準備しておくこと
謎の日本語しゃべらない魂
これも本当に今となっては笑い話である。
それは語学学校での出来事。
語学学校を決める際、留学エージェントの人から「ここの語学学校は都会ではないので、日本人は少ないですよ!」と言われた。だからここヌーサの語学学校を選んだ。
それなのに、ふたを開けてみたいら日本人は沢山いた。
都会の語学学校に行ったことはないが、比較したら都会より少ないのかもしれないけれど、日本人はいた。しかも想像していたより沢山いた。
その時初めて、語学学校にはどこであれ必ず日本人がいるということを学んだ。
日本人がいるということは、結局日本語を喋ってしまって英語力が伸びないのではないかと心配し、最初の3か月くらいは日本語を一言も話さなかった。
その結果、周りの日本人からは不思議な子と思われ異質な存在になった。笑
いじめられたとかは全くなかったが、日本人の友だちが少なすぎて、後に痛い目を見た。
ワーホリは常に人が流動している。新しい人が来ては帰ってを繰り返している。
だから、バイトの引継ぎや部屋の引継ぎは人脈と情報が全て。
わたしはといえば、日本人の友だち少なすぎて情弱だったために、学校の寮を出た後の部屋の賃貸を探すのに本当に苦労した。
全っっっ然、部屋が見つからなくて、明日から野宿にになるのかも・・・なんて思ったら「何しにワーホリ来たんだっけ…」とちょっと泣いた。
成功へのヒント③人類皆友だち。語学のためでも日本人とも仲良くすること
1度目のワーホリの失敗から学び、2度目のワーホリはカナダに行った。
本当に大成功だった。