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ヌーサからメルボルンへ

stays at melbourne ワーホリ
stays at melbourne

ハッピーでピースなヌーサでのスローライフに別れを告げ

すでにオーストラリアをラウンド中の友だちと合流するために

メルボルンへ移動したお話。

ヌーサ。ここがわたしのアナザースカイ?

ご存じの通り約3か月を過ごしたヌーサはのんびりとしたところです。

ヌーサは確かにちょっとしたビーチリゾートとして有名ですが

そこで生活するとなると、都会的な生活とはちょっと違います。

本当にお世話になって感謝してもしきれない、ホストマザーのような存在だった

オーナー夫婦、その家族、ハウスメイト。出会えたことにとても感謝しています。

オーナー夫婦は日本のことが大好きだったし、オーストラリアの魅力や

自由なマインドで生きていくこと、好奇心旺盛で何にでもチャレンジングなところ

色んな話をして、沢山の気づきや発見を与えてくれました。

飼っていた犬と一緒にバス停まで見送りに来てくれて、

わたしはバスに乗り窓からみんなに手を振ります。

とたんに涙があふれ止まらなくなってしまいました。

なんせ初めてのバックパッカーです。メルボルンに着けば友だちが待っているし

ほんの数時間ひとりで飛行機に乗って移動するだけなのに!!

オーナー夫婦の存在に改めて感謝しました。

(彼らは数年後に日本に遊びに来てくれました。素敵な出会いに感謝です!)

ヌーサとオーナー夫婦に別れを告げ、25kgのバックパックを背負って

いざメルボルンへ出発です!!

メルボルン。都会、おしゃれ、最高

メルボルンはオーストラリア第2の都市、オーストラリアの南に位置しています。

ヴィクトリア朝時代の建築物が多く残っていてロンドンのような雰囲気があります。

テニスの全豪オープンが行われたり、派手な帽子をかぶって参戦することで有名な

競馬のメルボルンカップがあったり、F1があることで有名ですね。カジノもあります。

コーヒーの街としても有名で、チェーン店ではない個人経営カフェも沢山あります。

中でもわたしがメルボルンに来た第一の理由は音楽フェスに行くため!

Big Day Outというアセアニア地域で主要都市を巡回して行われる

そのフェスに行くためにメルボルンに来たのです!!!

市内にはトラム(路面電車)が走っていて、その他に電車も走っていて、

博物館や美術館、植物園などもあり、かつては「世界で1番住みやすい町」にランクイン

したこともあるほど、住むのも観光するのも、とても素敵な街です。

最初はセントキルダという海岸エリアのバックパッカーで過ごしながら

仕事やレントと探していました。探してみたけど、今は駐車場になってるみたい。

そもそも約2か月の滞在だったのですが、何もせずに過ごすわけにはいかず

贅沢なことは言わず比較的簡単に職がみつかるはずの日本食レストランか

あるいはトラベルエエージェントでアルバイトをして現金収入はないのですが

働いた分ツアーなどの費用に充てられるという方法を探していました。

この方法は今でもあるのかわかりませんが、ここではやっていました。

オーストラリアはバックパッカーで国内を転々としている旅人も多いので

このようなシステムがあるのかも。

実際にメルボルンで合流した友だちは、このアルバイトをしていました。

仕事内容は至って簡単で、旅行会社はネットカフェのような場所でもあるので

その受付やスタッフのちょっとしたお手伝いなんかをしていました。

そしてそこで働いた分で、次の目的地までの航空券を購入していましたよ。

本当にお世話になりました。st.kildaのkyoto

最初にわたしが住んでいたバックパッカーは住所でいえば、315 St Kilda Rd。

GoogleMapで見れちゃうなんですごい時代。涙

そこから最寄りのトラムの停留所から、1件の日本食レストランが見えたんです。

その名も「Kyoto」。

不思議かもしませんが、海外の日本食レストランは必ず日本人が経営している

とは限らないんです。中国人とか韓国人オーナーの日本風レストランも沢山。

ただそのKyotoは佇まいからして日本人オーナー感がすごかったんです。

外観もちょっと古ぼけていたし、これも海外レストランあるあるですが

照明が暗いんですよ。だから正直やっているかやっていないかも微妙なライン。

ある日、お店の前に看板が出ていたんです。あ、やってるんだ。確信しました。

もう贅沢なことは言ってられません。いつレントが見つかるかもわからないから

バックパッカーから歩いて5分で行ける職場は魅力的だったし2か月しか働けない。

ダメもとでとにかくレジュメを配るしかない、と思っていたので手始めに

求人の貼紙はなかったけどKyotoへ電話してみました。

すると何となく日本語訛りの英語を話す男性が電話口で対応してくれました。

とはいえ日本人の保証もないので、とりあえず英語で求人があるか確認。

すると話は早く、翌日の15時にインタビューに来いとのこと。

おぉ。ちょっとテンション上がりました。

翌日レジュメをもってお店に行くと、日本人のコウジさんというオーナーが迎えてくれました。

ここチェーン店でもなく、こじんまりとした日本人の作る日本食を提供するお店。

正直に、2か月しか働けないからその2か月間は沢山働きますというと

ありがたいことに直ぐに採用となり、その日からバイトスタート。

この時に、バイト探しは行動あるのみだなと痛感しました。

英語分からなかったらどうしようと心配しても始まりません。

海外でアルバイトを探している人は、とにかくレジュメをばら撒く。これ鉄則です。

ばら撒いて連絡が来たらラッキー、レジュメばら撒くだけなら印刷代だけ。

もじもじしてるより、絶対いいです。あなた、すぐレジュメ配りに行ってください!

他にも数人アルバイトの日本人、中国人、韓国人がいたのですが

基本的にはわたしとコウジさん2人態勢で、週末などはもう少し人がいる感じ。

コウジさんがお料理を作るので、わたしは基本ホールで、その制服は浴衣。

浴衣は貸してくれて初日に奥さんが着付け方を教えてくれました。

日本食レストランのアルバイトで、浴衣の着付け方のスキルもゲットしました。

ランチタイムは電話で注文が入ったり、夜も地元のオージーたちに愛されるお店でした。

日本人のお客さんが来たことは1回あったかな?くらいです。

コウジさんは早稲田大学出身で、移住のきかっけかはわかりませんが

メルボルンに駐在している方の早稲田コミュニティがあるようで

そのパーティが一度お店で行われたことがありましたね。

冗談半分で、この中の誰かと結婚すればずっと海外いられるよ。なんて言われました。

・・・確かに。惜しいことしたな?わたし。

2か月間ほぼ毎日働いていたかも。お店で余ったおにぎりを持たせてくれたり、

賄いも日本食を出してくれて。

おかげでお金も溜まったし、働きっぷりも評価してくれて。

2か月で去るのはちょっと後ろめたかったけれど感謝を伝えて勤務を終えました。

(さすがにもう閉店しているようで、住所からGoogleMapをみると

今はインドカレー屋さんみたい。こんな形で再会できるとはエモです)

人生は一度きり、一期一会です。世界は広いんです。是非広い世界に飛び出しみて!!

世界は広いんです。

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