こんにちは、ワーホリ推してたら外貨$に到着した人、yucoです。
人生で初めて、大きなバックパックを背負って旅行したのは22歳の時。
それはオーストラリアでワーキングホリデー中の出来事だった。
具体的な目的もなく、就職前の海外生活、あわよくば英語のレベルアップくらいしか考えずに出発したワーホリなので、日本出国時はもちろんスーツケース。
ところが、語学学校のシェアハウスで出会った欧米人はみんなバックパック!!
その姿がものすごくかっこよく見えた。
広大な土地!先住民!場所によって全然違うオーストラリア
わたしがオーストラリアで最初に滞在したのは、東海岸の真ん中に位置するヌーサ(Noosa)の町。
のんびりとした町に、当時は語学学校がぽつんと1つだけあった。多くはヨーロッパ、特にスイスからの留学生で、次はブラジル。もちろん韓国や日本からの留学生もいた。
スイスからの留学生の多くは2~3か月の間ここで語学学校に通い、その後はオーストラリア各地を旅するというプランで来ていた。
わたしはと言えば特に旅行の計画もなく、あぁオーストラリアって大きいなぁくらいしか考えていなかったのだが、新聞をめくっている時に偶然『Big Day Out』という音楽フェスの広告を目にした。
その音楽フェスはサーキット方式と言って、オーストラリア(とニュージーランド)の数か所で開催され、その会場の一つにメルボルンを発見した。
すでにブリスベン、シドニーには訪れていたが、オーストラリアの東側しか知らなかったから、他の都市にも興味はあった。
特にメルボルンは英国の雰囲気が残ると聞いていたので、ビーチエリアでの生活に長くなるにつれて異なる雰囲気に惹かれていた。
行ってみたいなぁと思っていたところ、スイス人のクラスメイトがそのタイミングでメルボルンに滞在予定だと知った。
彼女の大まかな予定を確認し、その日にメルボルン行の飛行機のチケットを予約し旅行会社へ行った。
そしてその時に旅行会社で沢山の国内旅行のパンフレットを見つけた。
それまで旅行会社に行く機会などなかったから、オーストラリアの国内ツアーのことを考えたこともなかったが、その中にまさにバックパッカー向けのオーストラリア内をバスで回るツアーがたくさん載っていた。
それまでぼんやりと過ごしていたわたしにとっては、すべての写真が刺激的でした。
満天の星空、雄大なウルル/エアーズロック、アボリジニの人々、砂漠。
折角オーストラリアに来ているのに、こんな美しい景色を見ないで帰国するわけにはいかない!!
その翌日に再び旅行会社へツアーの手配をしに行き、わたしの人生で初めてのバックパッカーは突然に動き出した。
バックパッカー文化が根付くオーストラリア
とは言え、実際にメルボルンに向かうのはまだ少し先。
それまでの間は昼夜逆転しながらしっかり働きました。そのお話はこちら
人生で初めてのバックパッカー。まずはバックパックを持っていない。
さすがラウンドするバックパッカーが多い国だけあって、ショッピングモールで安いバックパックを手に入れることができた。ラウンドとは広大なオーストラリアを回るように旅することを言う。
オーストラリアのアウトドアブランドで有名どころは
Cribeeとか
BlackWolfとか
Kathmanduとか
個人的にはKathmandu(カトマンドゥ)が好き。確かメルボルンにアウトレットがあったような。(2022年10月調べ:まだありました!こちら)
不要な勉強道具などの荷物はスーツケースに詰めて、ラウンドバックパッカーが終了したら立ち寄る予定のシドニーにある留学エージェントのオフィスに送って預かってもらった。
オーストラリアの宅急便は、日本の宅急便とは異なるので手間がかかる。
集荷には来てくれないから、自分で最寄りの集荷センターまで持っていかないといけなかった。
新人バックパッカーなので何が旅の必需品で何が不要なのかもよくわからない。
しかも広大なオーストラリアはエリアによって気温差があり、気が付けば荷物も増えバックパックの総重量は約25キロ。小学生の子ども1人分くらいある。
試しにバックパックを背負ってみると、少し歩いただけで汗が噴き出すし、足腰はフラフラするし25kgのバックパックに慣れるまでは時間がかかった。
ヌーサを離れるとき、お部屋を貸してくれていてとてもお世話になったオーナーと犬、ハウスメイトだったコリアンガールがバス停までお見送りに来てくれた。
オーナーとは沢山お喋りもしたし、自分の母親位の年齢だったけれど、本当に友だちみたいだった。
コリアンガールは恥ずかしがりやで、あんまりお話できなかったけれど、時々お酒を飲んだり楽しかった。
バスに乗るまでは何ともなかったのに、バスが出発した瞬間、おいおい泣いた。
皆がいたからヌーサでの生活はとても楽しかったし寂しくなかったんだと実感すると同時に、感謝の気持ちでいっぱいだった。Thank you Noosa, thanks mate!
メルボルンでは、ヌーサの語学学校で出会ったスイス人の友だちと約2か月半ともに生活した。
彼女はまさにバックパッカーで、わたしより早くヌーサを出発しケアンズ、ブリスベン、ゴールドコースト、シドニーと名前の通りオーストラリア内をラウンドしてメルボルンに来ていた。
約束していたメルボルンのバックパッカーで合流し、しばらくの間はそこで生活した。
1部屋に2段ベッドが4つ、男女混合のお部屋だった。シャワーやトイレは男女別。
バックパッカー宿って泊まったことありますか?ここでは本当に色々なことがありました。
今はAirbnbとかカウチサーフィンもあるけれど、当時はそれはなかった。
機会があれば、一度バックパッカーに泊まってみて欲しい。面白いことが起こるかも。
若い時にしかできない経験
バックパッカー初心者のわたしは、もちろんバックパッカー宿も初めて。部活の合宿などの経験もない。
バックパッカー宿というのは(宿によって異なるが)大抵1部屋に4~8人くらいで1泊2000~3000円程、キッチンは共有、リビングも共有、PCはチケット制(当時)、門限があったり、冷蔵庫も共有なので自分の食材には名前を書く、宿主催のイベントがあったりする。
中には宿泊しながら宿の清掃などの仕事を行い、宿泊費のディスカウントを受けているような旅のスタイルの人もいる。
宿の規模が大きくなればなるほど、ルールがあれど共用部分はすぐに散らかり汚れる。
たまに、あなたいつからここ住んでるの?というくらい長期滞在の人もいたりする。
多くの人は短期間の滞在だから、わたしが宿泊した約1か月の間にも沢山の旅人が訪れ、そして去っていった。
さすがに今は1部屋8人の宿に泊まるのは色々な理由で躊躇する。これも若いからこそ経験できる宿泊スタイルだったな、と今は思える。
ルームメイトの所持品が無くなる、夜中に酔っぱらって大声で歌いだす、突如喧嘩が始まる、なんてことはよくあること。
そもそも資金がたっぷりあれば、このような宿には泊まらないわけだが、今思えば全部おもしろエピソードだからオッケー。実際楽しかった。
メルボルンには2か月程滞在する予定だったから、バックパッカー宿に滞在しながら部屋探しと職探しもしていた。
さすがにずっとバックパッカーで生活するのは難しい。プライバシーもある程度必要である。
運よく日本食レストランでの仕事を見つけ、2か月半しか働けないときちんと説明したうえで採用してもらったので、メルボルン滞在中はほとんどそこで働いて過ごしていました。
オーナーは日本人だったのですが、お客さんは本当にローカルの人しかいなくてオーダーも英語、電話注文も英語、いい経験になりました。
賄いも出してくれるので、とてもありがたかったです。オーナーのコウジさん、元気かな。
そして2か月半のメルボルン生活を終え、ついにダーウィン(Darwin)からアリススプリングス(Alice Springs)まで約1週間かけてバスで移動する旅が始まるのです。
世界は広いんです。